一年を振り返る日がやってきました。
間違いなく2019年は弦巻楽団として過去最も濃密な一年となりました。
写真で振り返ってみても、あれもこれも今年だったのか…と少し驚いてしまいます。
弦巻楽団の2019年。
3月 『わたしたちの街の「ジュリアス・シーザー」』 札幌文化芸術交流センターSCARTS公募事業
6月 『神の子供達はみな遊ぶ』 明園中学校芸術鑑賞特別公演
7月 『私たちが機械だった頃』 北海道大学CoSTEPコラボレーション
8月 #33『ワンダー☆ランド』 札幌演劇シーズン2019夏 参加
9月〜10月 #34『ユー・キャント・ハリー・ラブ!』 札幌〜帯広〜東京ツアー
11月 『秋の大文化祭!』 札幌劇場祭参加
以上6作品でした。
この他に7月末には演技講座の一学期発表公演として『おれはロビンフッド』と『修学旅行の夜』の二本も上演しています。
2018年最後の記事でも触れてましたが、2019年は弦巻楽団にとって
新しい挑戦となる公演作り(3月の「わたしたちの街の『ジュリアス・シーザー』」、7月の「私たちが機械だった頃」)と、
集大成となる作品(8月の#33「ワンダー☆ランド」)と、
これからも自分たちの柱となるレパートリーの上演(9月10月の#34「ユー・キャント・ハリー・ラブ!」)と、
それぞれ違った方面での達成がありました。
札幌で活動することをずっと考えています。
活動する意味はなんとなく言葉になっていたのですが、活動することによってどんな未来を引き寄せたいのか、どんな未来の形があるのか、それをずっと考えてきました。
その問いに対するヒントやアドバイスが見つかった一年でした。
答えでは無いかもしれませんが、方針は定まりました。
演劇を続けていくと、自分の時間をどれくらい演劇に費やすかが問われます。
職業として演劇家が成り立っていないこの街では(国では)、生活していく仕事をしながら演劇に携わるしかありません(それでも、20年前に比べると演劇に関する仕事だけで生活している演劇人も増えてきました)。
若い時は自分は文字通り、100%演劇に時間を費やしていました。もちろん大学やバイトに時間を割かれてはいました。けれど、演劇のためなら単位も収入も犠牲に?して、演劇に、劇団に自分の人生を投げ込んできました。
同じ劇団員の言う「仕事を休めない」と言う言葉に「じゃあ辞めればいいじゃん」と本気で言っていました。会社勤めや定職を持ったことのない自分には「会社を辞められない理由」が本当に想像つかなかったのです。目の前の人間も自分と同じように「会社なんて演劇のためならいつだって辞めたい(辞められる)」人間だと思っていました。きっととても性格の悪い上司に騙されて、辞めたいのに辞めさせてもらえないんだ、そう思ってました(「俺が話しつけてあげようか?」くらい言っていた気がします)。
演劇をしたい、というのはそういうことだと思っていました。
長い時間を経て、様々な街や国の演劇状況を知るにつれ、それがどれほどのことなのか気づき、そしてそれが相応しいことなのか、演劇にとってプラスなのか、と言うことを考えるようになりました。
自分の欲望を言葉にすれば、面白い演劇を作りたい、がまず第一にあって、次に演劇を多くの人に好きになって欲しい(自分の作品を沢山の人に見て欲しいから)、次に演劇に携わる人が増えて欲しい(自分の作品に触れる人が増えるから)、という順番になります。
見る人を育てる、その中でやる人を育てる、そうすれば自分の考える「面白い演劇」も作りやすくなる、そうすれば弦巻楽団の作品をもっともっと沢山の人に届けられる。
そう考えている訳です。
「面白い演劇」があれば見る人もやる人も増える。と考える人もいるでしょう。しかしこれは間違ってると思ってます。間違いでは言葉が厳しいなら、正確では無いと言い換えても良いです。正確では無い。正確には「演劇である必然が面白い演劇」があれば、だと思ってます。
誤解を恐れずに言えば「面白い役者が演じてるから面白い演劇」より「面白く無い人が演じてるのに面白い演劇」の方が影響力があると思っている訳です。「面白く無い人だけど出演してる作品が面白い」場合、結果的に「面白い役者」に見えることも充分にあるし、「面白く無い人が演じてるのに面白い演劇」に「面白い人」が出演しても当然良いです。
ただ、面白さは「演劇」と言うジャンル、形態そのものである、と言う「面白い演劇」こそが、やる人も見る人も増やすと思っています。
そこまではずっと前からそう思い、楽団の公演を、講座を行ってきました。
問題はここからです。
「面白い人」である必然はないけれど、「演劇人として向上していく」とはどう言うことか。
幅広い門戸を維持しつつ、集団として創作のレベルを上げていくとはどういうことか。
誰かを蹴落とす競争を「通じない」で、より表現者として切迫した向上心を持つにはどうしたら良いか。
10月の「ユー・キャント・ハリー・ラブ!」東京公演の初日、こふく劇場の永山さんが観に来てくれました。あのニコニコしたお顔で大層楽しんで観劇された後、とても厳しい(しかしすごく真摯な)感想をくれました。その会話の中に、上に記した「ここからの問題」のヒントがありました。地方で活動することにかけてはずっとずっと自分の先をゆく方の言葉はズシンと胸に残りました。
そして12月。個人の仕事で滞在制作した名寄歴史市民劇『スターゲイザー』の楽屋で、演出家の佐藤信さんから殆ど同じ言葉をいただきました。そしてその可能性を『スターゲイザー』に見て下さったのがとても嬉しかった。
限られた時間を演劇に費やす。持ち寄れる時間だけで創造作業をする。
これは決して悪いことではないと思います。
100%演劇に時間を費やし、バイトで食いつなぐ。それも悪くはありません。しかしそれだと東京が全ての演劇人を飲み込んでしまうでしょう。東京ぐらいの経済規模が無いと、そうした「浮いてる人間」が滞留できる場所はキープできないからです。東京だってもう厳しいのかもしれません。
札幌で、北海道で演劇をするとはそう言うことではないと、今は思います。
もっと言えばそうあるべきではないと思っています。演劇には演じる人間の全部が表れます。表れてしまいます。この札幌の状況で、働きながら演劇に向き合う時間配分で培われた肉体だからこそ、表れる人間性が、表れる劇の風景があるのだと今は考えています。
生活に流されると言うのとは違う次元で。
そうした集団として2020年は自覚的に活動していこうと思います。
今年のふたご座は「縁」の年だったらしいです。
終わってみれば本当にそうでした。縁を結んだり解いたり、昨年と来年を鉄道の連結ポイントのように切り替えたのが今年になりそうです。
それでも変わらないものもあります。
観る人が楽しめる演劇を作ること。
心が軽くなるような舞台を生み出すこと。
そこだけは変わりません。
2019年を個人的にも振り返って見たいと思います。
脚本家としては新作を2本、原案を元にエチュードを通して1本書き下ろしました。
※ 追記 2020/1/1
うっかり2018年のお仕事だと思っていたけれど、もう一つ手がけてました。
渡部倫子先生のダンス作品に脚本提供させてもらった『宙(SORA)』です。
これは2020年現在、新たな形でリクリエイション中です!
講師としては新たなスタジオで演技を教え始め、
ワークショップでは初めて訪れる街4箇所を含む合計で9箇所。
残念なのはスケジュールの都合で高校生や中学生の演劇大会の審査員をお断りしてしまったこと。どうか来年もまたお声がけください…。
1月
津あけぼの座プロデュース「あうんの会」第2回公演『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』の稽古が開始。スカイプで読み合わせがスタート。
全国大会に進んだ帯広北高校演劇部『放課後談話』のかでる2.7上演をちょっとだけお手伝い。
14日からいよいよ津に渡り「あうんの会」滞在制作がスタート。劇場にセットを組める贅沢。第1回公演「海につくまで」の作演出、名古屋の空宙空地の関戸さんも遊びに来てくれました。
公演も大好評!!
せっかくなのでと伊勢神宮と名古屋城を見て帰る。
2月から3月は『ジュリアス・シーザー』に没頭。
様々な講師の方を迎えて指導してもらう。念願だった公開制作も行いました。たくさんの方が参加してくださり、みなさんが作った小道具で演じられました。
舞台美術を担当してくれた高橋喜代史さんのパネルも大好評でした。
街中でシェイクスピアが行われている、その光景を生み出せたことが嬉しかったです。
4月
弦巻楽団×高校演劇部 のコラボレーション。最初のパートナーとなった新陽高校演劇部との共同制作がスタートしました。
6月〜10月の怒涛の本番ラッシュに備えてチラシの撮影や稽古もモリモリスタート。
5月のGWには12月の本番に向けた名寄の取材第1回が行われました。
ワークショップで帯広に。60名ほどの高校生を劇団員や遠藤洋平さんも交えて創作を行いました。
新人の鈴木智晴も奮闘しました。
ワンダー☆ランドの撮影は何故かカオスに…。
6月末、3度目となる明園中学校での学校公演が行われました。中学生の時教わった現在は明園中学校の校長、菊地先生と記念写真。
そしてこの方が再び!青年団の永井秀樹さん。伝説の『ユー・キャント・ハリー・ラブ!』再演に向けて撮影が行われました。
7月
初のコラボレーションとなる北海道大学CoSTEPさんとの公演『私たちが機械だった頃』上演。観客にディスカッションしてもらう、が前提だったこの公演、どのくらい話し合いに参加してもらえるか不安でドキドキだったのですが、驚くほど盛り上がりました!
もっと話し合いたかったと言う意見が多数。
CoSTEPさんとのコラボレーションは来年も続けていきます(と希望しています!)。
高校演劇とのコラボレーション、新陽高校演劇部による初公演、『神の子供達はみな遊ぶ』も無事終演!みんな頑張りました。1日4ステージ(!)。
#33『ワンダー☆ランド』は同じく演劇シーズンに参加する野村大くんと合同公開稽古。 演技講座は一学期の発表公演が行われました。尊敬する松本喜久夫先生の2本立て。とても良かった。
ワークショップで初となる伊達へ。今年は初めて訪れた町が多かった。
南陵高校や、小樽でも後志地区の高校生たちとワークショップ。
8月
そして#33『ワンダー☆ランド』。弦巻楽団の総決算でした。クソほど(by 鈴山あおい)段取りがあるこの作品。自分が2019年最高に輝いていたのはこの時の場当たりです。
苫前で2年ぶりとなるWS。いつもお世話になっている岩村さんのお孫さんの双子と再会。
再集結!!
名寄に再び。市民劇の参加者と初顔合わせ。ここから月に2〜3回の名寄往復がスタートします。
9月
ワークショップで初となる地、道東の美幌へ。
『ユー・キャント・ハリー・ラブ!』は初めて札幌駅前のビジョンでCMを流してもらいました。
札幌公演の終了後、すかさず帯広へ。地元のラジオに出演したり、遠藤さんと再びWSに向かったり。
帯広柏葉高校さんの芸術鑑賞公演は、とても盛り上がりました。取材してくれた新聞局・演劇部の皆さんと。
そのまま名寄へ!!初となる三国峠で記念写真。
10月−11月10年ぶりとなるアゴラ劇場での東京公演。『ユー・キャント・ハリー・ラブ!』に12年前出演していた菊地英登と、『君は素敵』に出演した土屋梨沙が観に来てくれました。長野県から書き下ろし台本『夢見るようなくちびるに』や『死にたいヤツら』を上演してくれた銀杏座さんのお二人も!2年前ナイスコンプレックスで一緒だったゆづるも家族で来てくれました。
劇団員だった深津。ナイトスイミングに出演したもくめさん。
何故か目を閉じてしまった講座生だった波。永山さん。アフタートークゲストに来てくれた、久々の再会だった柿喰う客中屋敷君。同じくアフタートークに出演してくれたiakuの横山君とは写真を撮り忘れてしまいました。しまった!
本番終わって翌日駆けつけてくれた福原冠君。
再び苫前へ。今度は二日に渡るWS。
名寄でも少しずつ作品づくりに着手。地元の大学に通う学生さんは稽古後もラーメンをモリモリ食べていました。
『ユー・キャント・ハリー・ラブ!』は札幌に帰って、月寒高校の芸術鑑賞公演に。なんとカナモトホールで上演!!!でかかった!!!
永井さんを見送る一同。
11月−12月
演技講座は劇団員の相馬日奈が演出する別役実「飛んで孫悟空」の製作が佳境に。
そんな中結婚式を執り行いました。籍を入れて5年目、なかなかに照れました。
2020年第一弾の#35『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』札幌バージョンのチラシ撮影。出演はもちろん(?)この二人!!
『ナイスコンプレックス』でご一緒し、絶対に一緒にまた組みたかった中山夢歩さんが来札。一人芝居を上演したもらいました。演出のキムラ君とも再会。
『秋の大文化祭!』が終わった翌日から名寄生活がスタート。
ラジオもやりました。
その間に札幌で授業や、これまた初めて訪れる稚内でWS。
そして名寄歴史市民劇『スターゲイザー』。
札幌でも活動されていた比屋定さんも出演してくれました。
本番に向けてメイクして大人っぽくなった?わかなちゃん(8歳)。
劇団員(+α)と久々の旅行。超絶楽しかった。
ひっそりと忘年会。
お世話になった佐久間3兄弟。
そんなボリュームたっぷりな一年でした。
春のオーディションで2名の新人劇団員が入団しました。
ですが、残念なことに(本人にとっては喜ぶべきことに)鈴木智晴が就職の関係で退団することになりました。
これも縁です。繋がっていれば、またどこかで出会えるはずです。
2020年も春に新人オーディションを行います。
また、来年の活動予定も改めてドドっとおしらせします。
あの名作(?)の再演もあります。
ご期待ください。
なんとか年内に間に合いました。
では皆様、良いお年を。
弦巻楽団 代表 弦巻啓太