戯曲講座で、ちょうど受講生も見に来てくれた後だし記憶も新鮮なうちに…と、『ユー・キャント・ハリー・ラブ!』の13年前の構想ノートを見せた。企画の打ち合わせから、どんな作品にするか大まかな方向性が固まるまで、そこから具体的な肉付けがなされ、設定が決まり、プロットが決まり、登場人物の設定が決まり…と、徐々に『ユー・キャント・ハリー・ラブ!』という作品が形になった工程を振り返り、説明した。
自分のやり方を開陳するのはとても恥ずかしい。常に「何様で」という思いが付きまとう。でも自分もいい年だし、これを否定する人が出てくるならそれもそれで(札幌のお芝居の世界で)良い結果なんじゃないかと思って踏み込んだ。
受講生は非常に関心を持って聞き入ってくれた。一つの戯曲になるまでに何度も最初から考え直す道筋が興味深かったようだ。自分のやり方は、二つに道筋が分かれる可能性があるならどちらも結末まで考えて、より豊かな方を取るというやり方でやっている。どっちに進むのが豊かだろう…と悩むくらいなら、手で書き起こして両方完成させてから検討する。コストはかかるやり方だけど、他は知らないので仕方ない。
「今も構想は手書きで練るんですか?」と質問されてハッとした。確かにそうだ。当たり前のようにノートやメモ帳や様々な紙に手書きでしている。さあ構想を練るぞ~と画面に向かうことは全くない。やはり、キーパンチよりペンを握った手の方が思索の速度に追いついている気がする。ブラインドタッチができたら違うのかな…。頭じゃなく手で考える、と言うのはあながち嘘じゃない。想像力に意識よりも手が先に反応して、紙に書かれた字を見て意識も一拍遅れで自分の発想を知る、と言う感じだ。
おかげさまで『ユー・キャント・ハリー・ラブ!』は全7ステージを終えることができました。目標には及びませんでしたが、劇団としても過去最高と言うべき数のお客さんに観ていただくことができました。札幌演劇シーズンの、関係者皆さんの、協力、応援してくれた皆さんに感謝いたします。そして、会場で観てくれた全ての方に感謝します。どうもありがとうございました。
作品に言うことはありません。どこを切っても『弦巻楽団』でしかない舞台になったと思います。
たくさんの感想をいただいてます。改めてこちらをどうぞ。
トゥギャッター https://togetter.com/li/1197298
札幌観劇人の語り場 http://kangekijin.com
(こちらで『弦巻楽団』で検索!)
舞台を見つめているうちに、出演者達と同じような気持ちになった。という感想がいくつもありました。すごく嬉しい感想です。前回も書きましたが(2/12日の記事)、そこに心血を注いでいます。役者にもそうした演技を要求していました。
なぜなら、それこそが演劇が演劇である意味だと思っているからです。眼の前で人間が再現する強みは、そこにしかないからです。
「教授を応援したくなった」「あの部屋の中で、一緒に登場人物の行動にツッコミを入れていた」そんなありがたい感想がたくさんありました。
しかし、実を言えば稽古場では一見真逆の言葉が演出から指示されています。
「もっと不親切に」「観客に向かわずに」「相手にだけ集中して」「感情を言葉に乗せず文章の意味だけを伝えて」…。それは、そうした指示を果たしてこそ「観客が観客であることを忘れてしまう空間」が出来上がるからです。かつては自分も舞台上から何かを観客に届けようとしていました。それが演劇らしさだと思いながら。ただそのやり方は今思えばあまりに直接的に過ぎました。届いてはいたかもしれない。しかし「観客に届けよう」という意図が明確であればあるほど、「観客」は「観客」であることを意識してしまう。そうした落とし穴があるのです。
その落とし穴に気づき、新しい作り方を探したのが30代の10年間と言えるでしょうか。
なので、稽古場ではあくまで相手役に向き合うこと、人物と人物の間で何が交わされてるかその構造をしっかりと描くこと(ある意味、表層的に)、が重視されます。それを眺めることによって、観客が想像を膨らませていく余地を空間的に、時間的に生み出すこと、そこに注意が置かれています。
(やはり『四月になれば彼女は彼は』の時に相当模索し、いくつも検証を重ねたことが自分にとっては大きい。あの時間があったから『ユー・キャント・ハリー・ラブ!』も『君は素敵』も古びなくて済んだのだと自分ではハッキリ分かる。ヒヤヒヤ。無駄なことなんてないんだなあ。)
制作裏話なんぞ…
今回も大人気だった堺くん役の遠藤洋平。前回(2016)初日、暗転中の衣装替えでまさかのスエット前後ろ逆に着用する事件があったので、今回は準備万端、最新の注意を払って小屋入りしようと意気込んでいたところ、稽古場での最終?通し稽古の際、とんでもないミスを。最初の場面で教授に「ラジカセどこにやったんだ」と言われ「家に持って帰りましたよ」「ばかもん!取りに帰れ~!!」と会話する箇所で、何を思ったか、集中が過ぎたか、ラジカセを「持って」登場してしまう。
一同、唖然。見守るスタッフも唖然、のち爆笑。
永井さん演じる教授もおもわず口をパクパクするしかない時間が稽古場に訪れました。
あの瞬間の動画、撮っておけば良かった。
稽古場では演技講座三学期名物『舞台に立つ』がスタート!
今期のテキストは遂に!なんと!『ハムレット』!!!
しかも総勢35名という大所帯で取り組んでいます。
1月から少しずつ進めてきましたが、配役も決まり、いざ本腰に…となると今度は体調不良の波が。みなさん、体調管理には十分気をつけましょう。
この講座でも取り組み方や演技についての考え方は変わってません。相手に向き合うこと。人物と人物の間で何が交わされているかハッキリと提示すること。
先日講座でぽろっと「これは現代的な物語だから~」と言ってしまいました。「現代にも通じる~」という次元ではありません「現代的な物語」と断言してしまったのです。
「ハムレット」はシェイクスピア作品の中でも傑作とされています。そこに異論はありません。しかし、ハッキリしない作品だ、とも言えます。「マクベス」「ロミジュリ」「リア王」「オセロー」「ヴェニスの商人」…どの作品と比べてもモヤモヤします。フォルムがハッキリしません。作品のバランスが悪い、という意味ではありません。それなら「冬物語」だって「シンベリン」だって、「ヘンリー四世」だってバランスが悪いです。ただそれは言わば構造の不躾さです。立て付けが悪い、といったバランスの悪さです。
「ハムレット」はバランスも悪い…ですが、そこではなく「根本的なハッキリしなさ」があるのです。問題の不明確さ、とも言えます。何が問題なの?と作品に問いかければ分かり易いかもしれません。ストーリーが複雑なのではありません。むしろストーリーはシンプルでしょう。
このハッキリしなさが「ハムレット」を歴史に残る名作に押し上げたとも言えるでしょう、時代の風化に耐える作品にしてるとも言えるでしょう。よく『オイディプス王』になぞらえられますが、私見を言えば『オイディプス王』は『ハムレット』より『マクベス』です。
そのハッキリしなさとどう向き合い、形にしていくかがこれからの稽古にかかっています。
本番は今月末!!
シェイクスピアを本格的に楽しむでも良し、若き演劇人の迸りをご覧になるも良し。
ぜひ劇場へ!!
打ち上げ!奥坂教授の先輩、松本直人さんも!!
東京におかえりになる永井さん。『サライ』ならぬ『ナガイ』を歌ってお見送り。
ででん!初演の際の構想メモ。これを10回以上練り直して膨らませていきます。
ででん!まもなくお目見え!「ハムレット」のチラシです。デザインは『リチャード三世』に続いて佐久間泉真、狐さんのコンビ。
稽古も順調…?