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弦巻啓太

良い芝居をしよう


早くも一週間が経ちました。

弦巻作・演出によるとままえ町民劇『結婚しようよ』は12月16日に、ただ一回のステージを無事に終演しました。出演者、スタッフあわせて40名を越す?大所帯だったわけですが、そのチームワークや一体感には素晴らしいものがありました。

ここ数年の自分の試行錯誤が一つ結実した舞台でした。探していた答えの形を一つ見つけた公演だったとも言えるでしょう。

まず控えめに言って、相当控えめに言って、素晴らしい舞台でした。

ミスもありました。稽古の時の方がうまくいっている箇所もありました。しかし、そこには演劇がありました。自分が執筆したフィクションを通して、関わっている全ての作り手の生き方や、人間そのものがクッキリと浮かび上がってくるようでした。フィクションであり、他者のふりをして、架空の対話を通して、そこにいる「わたしたち」が伝わってくる。演劇の魔法のような一面が、確かにありました。

どうしてそんなことができたか?と言われたら、それがとままえ町民劇が10年間培ってきたものだ、としか言いようがありません。年に一度、だれに頼まれたからでもなく、芝居が好き、という思いだけで集まってきて稽古に打ち込む。プロになるためじゃない。でも、自分たちの楽しみのためだけに芝居作りをするわけでもない。奇跡的なバランスで取り組む人たちがそこにいました。良い作品を作るために。良い演技をするために。みな真剣に考え、悩んでいました。

本番は立ち見まで出る400名を越す観客が詰めかけました。3000人の町、苫前でです。腰が抜けるかと思いました。本番は観客席が一体となって、固唾を飲んで舞台上を見つめていました。花嫁として娘を送り出す父親の混乱と、悪あがきを描いたドタバタコメディは、いつしか会場を切なさで満たしていました。同じ場面で笑うお客さんもいれば、涙を拭っている人もいる、人生そのもののような時間になりました。

『結婚しようよ』は、ちょうど一年ほど前にとままえ町民劇の方から連絡をいただき、構想がスタートしました。2015年からワークショップなどで交流させてもらっていた苫前のみなさんと本格的に芝居づくりができる。「とままえ町民劇」のあり方に関心と興味を抱いていた自分にとって、それはありがたい依頼でした。2016年が多忙すぎたので2017年のテーマは「仕事を選ぶ」でした。しかしその依頼は、なにより優先すべきものだと直感しました。これは、自分にとって大切な仕事になる。その時のメモを見返せば、脚本に関するオーダーとして『苫前の今を描くこと』と『誰も死なないこと』が提示されてます。

そこから取材が始まりました。とままえ町民劇は過去9回の上演の中でも、たびたび「苫前町」自身を描いています。前々回の『拓く』は有名な三毛別羆事件を題材にしていました。そうした過去の作品とは違った切り口で脚本を書くー。

『町の今を描く』というのは何をどうしたら『町の今を描いた』ことになるのでしょう。今現在抱えている問題でしょうか?自分はそう感じません。名物を描いても、特殊な文化を登場させても、それだけで町の今を描いたことにはならないとどうしても感じています。

来るたびに感じていたこの苫前の風通しの良さを、明るさを、逞しさを形にしたい。そう考えてました。

まず、町民劇の皆さんに自分たちの歴史について語ってもらいました。なぜあなたは今ここにいるのですか?という形で。お互いの過去が語られました。言葉にしにくい箇所もあったと思います。しかしみなさん率直に、明るく語ってくれました。町民劇のメンバーにとってもお互い驚くような過去があったみたいです。

次に、苫前で働く方々のお話を聞かせてもらいました。漁師さんのお話や、農家さんのお話を。それぞれとても面白かった。そして「普通の/平坦な」人生なんてどこにもないんだと改めて実感しました。

そうした中、一番心に残ったのは「苫前で働こう」と帰ってきた若者たちのお話でした。これには随分驚きました。進学で都会に出たけど、地元のために働きたいと戻ってきた方が多いのです。もちろん苫前も人口減少が進んでいます。でも、僕が見た限り「悲壮感」はどこにも感じられませんでした。希望があるとはちょっと違う、ポジティブさがありました。

そのポジティブさがどこから来るのか。

それは町民劇の皆さんにずっと感じていたオープンさとも繋がってました。

居場所があるということ。それも排除する競争の果てにある居場所じゃなく、すべてを受け入れる大らかさによって生まれる居場所がここにはあるということ。

根を下ろし生活するということ。

家族を増やし、生きていくということ。

そのしなやかな強さを脚本にしようと思いました。明るく。オープンに。

「結婚」についての話にしよう、という所まではすぐに決まりました。

そこから大きな二つの候補作が生まれ、稽古は大変かもしれないけれど、場転無しの70分シチュエーションコメディが選ばれました。

最初は自分の脚本が持つスピード感みたいなものにみな戸惑っていたようでした。しかし一度説明した後はベテランの方も元気の良い小学生の子たちも思いっきりトライしてくれました。自分がいつも口にする「全員好き勝手に話しているからこそ起こるグルーヴ」みたいなものが徐々に生まれてきました。

主役の披露宴に出席したくないと立てこもる父・良親を演じた加藤さんはすでに還暦を迎えた大ベテラン。でも誰よりも常に台本に目を落とし、役の心情や行動をどう演じるべきか考えてくれました。70分、一度もハケることなく声を荒げ、ぶつかり合う良親を見事に演じてくれました。他にも60代、50代や40代の方が入り乱れ、小学生や若者も混じって総力戦で舞台は作られていきました。

「後に続くものたちのために、良い作品をお願いします。」

前代表だった松岡満雄さんが僕に言った言葉です。僧侶であることとは別に、その言葉はとても純粋な願いとして発せられていました。わかりました。と僕は約束しました。後に続くものたちのために、50年は残る脚本にします。と。

残念なことに松岡さんはこの脚本を読むことなくこの世を去りました。

満席の会場を見つめながら、僕が感じていたのは苫前のみなさんが重ねてきた歴史のことでした。町に根付き、町の人たちへの熱心な働きかけがなければ、そして「とままえ町民劇」への信頼がなければ、こんな幸福な光景は生まれない。その奇跡のような時間に目眩がしました。「後に続くものたち」のために、そう考える自分にはもちろん「先に行ったものたち」がいます。そうした方々の耕してきた土壌に想いを馳せました。

ご褒美でした。

当日のパンフレットにも書きましたが、自分にとって演劇人生20年のご褒美のような仕事でした。尊敬に値する人たちと、純粋に演劇に取り組むことができる。おいしいところだけ自分は頂いてるんじゃないかと不安になるくらいでした。あながち違うとは言えません。僕が月に一度通う稽古に合わせて、準備し、稽古し、問題点を拾い、積み上げてくれているスタッフやキャストがいる。自分は彼らのおかげで、演出として120%専念できる。

先に行ったものたちが豊かな土壌や、海を残してくれたおかげで、のびのびと創作できました。

それはご褒美でした。

自分はそれを一時借りて、ありがたく使わせてもらっただけです。そして、次に続くものに残すだけでした。

そんな輪廻の一つになること。大きな時間の流れの中で、誇りを持って生きるということ。

それが、この場所で生きることでした。

何度もなんども涙ぐみながら(そしてそれを隠しながら)稽古していました。

本番は途中から思いっきり泣いてました。隣のお母様も子供をおとなしく座らせるのに格闘しながら泣いてました。

「誰も死なない」どころか、自分の作品の中でも有数にハッピーなこの作品に、観客が自分の何かを重ねて涙してくれることが嬉しかった。目の前に現れた虚構は、それだけで肯定なのだと改めて感じました。

初めて、50作品以上書いてきて初めて、普通に当たり前に家族が出てくる話でした。

それも苫前の皆さんと出会ったことによって書けたんだと思います。

感謝です。感謝しかありません。

実際の上演を見て気づいた方もいるかもしれませんが、この『結婚しようよ』、劇中で『苫前』とは一回も、いっっっっっっっっっかいも、口にされません。

「苫前の今を描く」ことを目指したのに、です。それは僕なりのひねくれた挑戦でした。『苫前』を言葉で出すことは簡単です。名物や特徴的な風景に言及することだって可能です。しかし、そうしたことによって安易に『苫前』を描いたことにはしたくない。そりゃあ『苫前』と本文で書かれていれば、町民劇の皆さんも弦巻に「苫前を描いてはいない!」と責められないはずです。執筆者の責任を果たしたことには(一応)なるかもしれません。けれど、自分にはそれは貧しいアリバイ作りに感じます。

『苫前』と語られなくても、みんなが「自分たちの町の作品だ」と感じてくれるかどうか。それが自分のひねくれた挑戦でした。

町民劇メンバーの若き漁師、小笠原くんが書きあげた後に「苫前の海と山のことを書いてくれてありがとうございます。」と言ってくれました。他のメンバーも、私たちのお話だね、と言ってくれました。それが何よりの報酬でした。

執筆中はウエディングソングをユーチューブで聞き続けていました。

その中で、最後の『バタフライ』は選ばれました。元々好きな曲でしたが、改めて聞くと、父親が娘に遠くから語りかけているような歌詞に聞こえてきます。そんな良親の心情を託した選曲でした。

そして、最後にカーテンコールで流れた曲はElton John の『Chapel Of Love』です。

この曲は死ぬほど好きな曲なんですが、エルトンジョンのオリジナルアルバムには収録されてません。結婚ものの名作『フォー・ウエディング』という映画のサントラに収録されています。映画でもラストに流れます。94年のこの作品、wet wet wet の主題歌が大ヒット、映画も息の長いヒットをしていました。『Mr.ビーン』以前のローワン・アトキンソンも出てきます。

ディキシーカップスのカバーであるこの曲はエルトンジョンらしいドライブ感(他に誰が出せる?)に貫かれ爽快です。そして中盤の歌詞が一箇所だけ変更になってます。それにより男性視点の歌詞になってる訳です。この変化がまたにくい。

幸せな、ポジティブでオープンな曲です。

『結婚しようよ』は、どうしてもこの曲で終わりたかった。

訳詞を紹介します。僕の訳です。どうか間違いは指摘しないでください。

良い芝居になったと思います。控えめに言ってとても良い芝居になったと思います。良い芝居とは何か、自分の中の問いに答えを出してくれた公演でした。自分の悩みに、確信を持たせてくれた作品になりました。

どうもありがとう。とても楽しかった。

いつかまた再演して下さい!!

『Chapel Of Love』

春はここに  空は青

鳥は歌う  きっと全部知っているんだ

今日こそその日  僕たちは「はい」と誓う

そうして僕たちはもう今以上孤独になることはない

なぜなら僕たちは教会へ行くのだから

そしてそこで結婚をするのだから

教会へ行こう

そしてそこで結婚をしよう

ああ、本当に君を愛している

だから結婚をしに行こう

行こう、愛に包まれた教会へ

鐘は鳴り  太陽は輝く

僕は彼女のものになる

彼女は僕のものになる

僕たちは愛し合う、この時間が終わるまで   

そうして僕たちはもう今以上孤独になることはない

なぜなら僕たちは教会へ行くのだから

そしてそこで結婚をするのだから

教会へ行こう

そしてそこで結婚をしよう

ああ、本当に君を愛している

だから結婚をしに行こう

行こう、愛に包まれた教会へ


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