代表弦巻です。
一昨日から弦巻楽団『サウンズ・オブ・サイレンシーズ』国内ツアーが始まりました。
1年ぶりの三重県津に向けて出発です。
昨年は4名でしたが、今回は7名(途中から1名プラス)の中所帯です。
『サウンズ・オブ・サイレンシーズ』はもともと三重、大阪、北九州の3都市でのみ上演される予定でした。しかし、#28ナイトスイミング のバラシ中にお手伝いしてくれていた信山エンデバー君に「どうして札幌でやらないんだ!このグズ!」と激しく鼓舞され、急遽6日にプレビュー公演を行いました。実際、やると決めてからの信山Pの動きは迅速で、チケット発売は5日たらずで完売しました。6日の公演当日は当日券に並ぶ方も多く、シアターZOOで満席で上演ができました。
信山Pは興奮気味に「やるべきだったでしょう!」と熱く訴えてきました。
観てくれた方も、とてもとても熱く感想を語ってくれました。
反省もありますが、この非常に地味な、淡々とした作品にそうした反応が返ってきたことが、少し自信になったことは確かです。
観てくれた皆さん、本当にありがとうございます。
三重は思ったほど暑くなく、一同ホッとしています。
一時の予報では30℃を越えると言われていたので…。
津あけぼの座は昨年の『四月になれば彼女は彼は』で来ているので今回で2回目です。とても良い小屋です。良い小屋は良い暗闇があります。セットを配置して、人間が立った瞬間、空間が劇空間に変質しました。おおお。これは良い芝居になるのではないだろうか。
今回はどう観てもらえるか非常に楽しみです。
#28ナイトスイミングのDVDが完成しました。
手元に届いた方も多いかと思います。考えてみれば、あれもほんの2ヶ月前。一番暑い夏の日々でした。
ナイトスイミングのあと、この『サウンズ・オブ・サイレンシーズ』の稽古と並走して新作台本を一つ完成させ、弦巻楽団演劇研究講座の発表公演を8月に終え、審査員として100時間近くの演劇を見続けました。 審査で見た作品はどれも興味深く、審査するのが難しかったです。面白い舞台もあれば、つまらない舞台もあるその豊かさ!その難しさと対峙していると、審査されているのは自分の気がしてきます。表れるのは作品の価値ではなく弦巻の価値観です。作品は変わらない。僕たちは後付けであーだこーだ付与するだけです。
お金がとてもかかっている、豪華な舞台だけどつまらないと感じるものもあれば、初心者の方々がやっている舞台なのに素晴らしいと感じるものも。
ときどきこうした言い方をすると、誤解されるので断っておくと、
(断るまでもないと思っていたんですが、)
「初心者が一生懸命頑張っているから素晴らしい」
なんてことは1ミリも言ってません。
ミスや稚拙さが目についても豊かさに満ちた舞台もあれば、
ミスや稚拙さが全くないのに「だからどうしたの?」としか残念なことに感じない舞台もあります。
ときどき誤解されるので断っておくと、
(断るまでもないと思っていたんですが!!本当に!!)
ミスや稚拙さがあればいいと言ってるのではありません。
アマチュアリズムを愛でてるわけでもハプニングがあって「ライヴだったね〜」と言いたいわけでもありません。
ただ、「ミスや稚拙さがない」がイコールで「良さ」になるとは思ってはいません。
技術や修練度を越えて、
他者と何を共有しているか、その場に起きた揺らぎを感じているか、お互いがいることで世界が成立しているか。そんなことが舞台上にあるかないかを感じながら、舞台の評価を自分はしていました。
今、世の中にある「良さ」や「上手さ」。
その尺度でしかものを見れなくなるのが自分は怖いです。
先に存在しているものを追うように価値を伸ばす。それは決して悪いことじゃなく、「伸びよう」と思っている側の人間にとっては当然の考えです。自分だって若い頃、役者をやる時は佐藤浩市のやろうと思っていました(!)
ただ審査や何かを判断する側に立たされた時、その尺度でものを見るというのは、結局マジョリティや既存の価値観に奉仕しているだけになると思うのです。見たことの無いものに価値を感じる。その些細な、自分の感性に起きた小さな揺らぎを大切にしたいと思うのです。
そうじゃないなら、ものを作る意味なんて自分にはありません。
旅に出るのはとても良いです。
何が大切で何が必要か、何が自分にとって抜き差しならない問題か。自分を省みながら、作品の本当の価値を確かめさせてくれます。
この旅を経て、弦巻も弦巻楽団も変わっていく予感がします。
それは一般的な「劇団の成長」や「演劇人の成長」という尺度とは違うかもしれない。
でも、そこにしか自分が通れる道はないのです。
ツアー初日です。