弦巻楽団演劇研究講座“舞台に立つ”『コリオレイナス』、先日全4ステージ、うち3ステージはほぼ満席というありがたい環境で終演することが出来ました。 観に来てくれた方、応援してくれた方、本当にありがとうございます。
好評の声も多く、ありがたい限りです。 我ながら、ちょっと凄いと(笑)思います。もちろんもっと「出来が良い」公演は沢山あるでしょう。失敗もあったし、思うように演技できなくて悔しい思いをした受講生もいたと思います。「チャレンジ精神が素晴らしい」とは微塵も思わないし、そこが評価されたのではないとも思っています。
演劇の基本である「全員の力で立ち上げる」、そこにみんなが向き合ってくれた結果です。立ち上がるのです。演出が役者を“自分の『解釈』を説明する道具”にすることなく、全員が作品に真摯に向き合えば。言葉を越えて、時間を越えて。
こうした試みはもっともっとやっていきたい。
自治体の方や施設の方、学校演劇の関係者の方々で古典に取り組む糸口を見つけたい方、よろしければ弦巻にご用命を。 どこででもやるつもりです。
4回目の試みとなった今年の発表会は新しい試みも随所に施し、挑戦作となりました。昨年の『ヘンリー六世』は政治劇でしたが、今回のコリオレイナスはアクション悲劇でした。シェイクスピアの上演作品を選ぶ際、懸念ポイントとなる「戦」の場面をどう描くか?に真っ向から取り組みました。
中学一年生から、50代の方まで、多様なメンバーが集まりました。チラシをデザインし、配り、衣装も小道具も音楽も作り、予約管理や美術も自分たちで考え、場面の解釈やミザンスについてまで全員で工夫しました。
それぞれがもがいてました。演出としては物語を生かすことだけを考えました。『みんなができること』には合わせませんでした。ひどいヤツです。でも真摯に作品を捉えさえすれば、役を生きる人間はそこにシッカリと存在してました。では真摯であるとは何か?
キャラクター勝負じゃないんだ。物語の中で、舞台の上で生きるんだ。それは繋がり続けると言うことなんだ。相手を見て、話を聞いて、相手に言うということなんだ。ごまかすな。キャッチボールなんてするな。演技してる実感に依存するな。そんなことを偉そうに突きつけた3ヶ月でした。
そんな意地悪には気付かずに、受講生はポジティブにトライし続けてくれました。過去の『舞台に立つ』参加者や、昨年からの受講生がそうした下地を作っていました。いつの間にか創造することが当然の空気がありました。劇場入りして、照明さんに指摘されて初めて気付いたのですが…。
『みんな凄いですね』と。『何が?』と弦巻が聞くと、『みんな、指示する人がいなくてもどんどんやるんですね』。
その言葉は、こうしたワークショップをやるものにとって何よりの勲章です。
全員で動く場面ばかりで、チームとしての呼吸が本当に問われました。でもシアターZOOで参加者19名のうち大半が出演した暴動の場面はものすごい迫力がありました。(そしてその直後の必死さ!)
講師でありながら、教えられることばかりでした。 来年も3月にシアターZOOで行います。 中学一年生の子が「大人になっても参加したい」と言ってくれたので、約束しちゃいました。なのであと8年は(?)続けるつもりです。