おととい、弦巻楽団#27『君は素敵』はバッタバッタで胃がねじ切れるんじゃないかという苦しみの中、初日を迎えました。しかし、初日の出来はここ数公演の中でもなかなか無いくらい幸福な初日になりました。
幸福な初日を何を持って規定するかは人それぞれでしょうが、僕は固かったり、崩れかかったとしても、「まだ見ぬ何かを作り上げようとしている」初日が好きです。どうなるかわからないドキドキがある初日というか。
おとといの初日は、そんなドキドキできる初日でした。そしてそれを観客も一緒になって作り上げていくような時間でした。
昨日の2ステージもそんなドキドキが続きました。これは演者7人の踏ん張りもありますが、冒頭登場する日替わりゲストの力も大きいです。その時その時、舞台にそれぞれの方法で「新しい何か」を落としていってくれます。
「演技に正解は無い。」
演技についての書や、言説や、演技指導の講師の言葉としてよく語られています。自分もそう思います。ですが、稽古場では「正解」を突き詰めるかのような稽古をします。かなりタイトに出演する役者に突き詰める方だと思います。再度ですが、その正解をころっと捨てたりもします。
「演技に正解は無い。」
都合よく解釈したくないと思います。
自己肯定の便利な言葉にしてはいけない。
正解がないことは恩恵でも安心できる条件でもなく、むしろ不安と虚無と対峙するということです。
「こうすればいい」と思っているような、自信に満ち溢れた演技が僕は苦手です。宗教の盲目的な信者のようで、僕は苦手です。「こうすれば」には様々なパターンがあります。『ハイテンション』『リアリティ』『共感』『笑い』『抑制』…正解が無いんだから壊せばいいと言う安易な『正解』にすがりついた『なんでもあり』。
そうした何かを拠り所にした瞬間に、劇空間は「作ったものを提示する」空間になってしまいます。一方行の。目の前の舞台が、テレビの画面になってしまう瞬間です。
弦巻楽団の舞台に、出演者の演技に、拠り所は無いのか?と言われたら、無いわけじゃ無い、という答えです。しかし、それは言わば『式の立て方』みたいなものです。
『君は素敵』はまさにその拠り所の無さが魅力であり、役者にとっては演じるのにしんどいポイントです。物語はある。ありますが、『死にたいヤツら』や『ユー・キャント・ハリー・ラブ!』や、この夏再演する『ナイトスイミング』よりも物語は勝手に動いてくれません。登場人物7人の間で生まれ、7人の間で変化するだけです。人間模様だけがそこにあります(なので『四月になれば彼女は彼は』や『サウンズ・オブ・サイレンシーズ』に近いと言えます)。しかも『こうすればいい』はありません。だって、演技に正解は無いんですから。
そりゃ胃もねじ切れます。
本当に、よく戦ってくれる7人だと思います。
実は今回久々の、「過去に弦巻と芝居作りをしたことがある俳優」だけでの座組みでした。
団員の深津や、韓国公演も共にした袖山はやはりその弦巻楽団としての戦い方を誰より全うしてくれてます。『果実』に続いての塚本なおみんや『裸足で散歩』で初舞台だった森田あっこもより深く、四女咲子役の土屋梨沙は10数年ぶりの共同作業ですが、真摯に。幸か不幸か弦巻楽団で演劇を始めた池江蘭は(今や引っ張りだこ!)相変わらずのキレと行動力で。そして、『ラブレス』以来5年ぶりとなる阿部星来は、これまで身につけた技術を捨て、持ち前の潔い突進力で。
残りは8ステージ。
正解のない怖さと、スリルと、快楽を求め続けていきたいと思います。
ツイッターでいただいた感想のまとめがこちらにあります。
「女優だけ、を忘れさせる作品」という言葉がとても嬉しいです。
華やかに、甘く、辛く、今日も舞台に立つ7人を楽しみたいと思います。
日替わりゲスト、能登英輔。
日替わりゲスト遠藤洋平、と裏番長?小林なるみ。
日替わりゲスト、櫻井保一。